今年初めての島唄の会は1月の第二日曜日13日に、いつもの五反田「結ま~る」で開かれた。寒い、明けて一番の寒さだ雪にこそならないが、早朝から曇り冷たい風、東京は最高気温が7度というが風で体感温度はずっと冷たく感じる。
ところが今年1回目の会は上々のスタートとなった。これまでに最も多い23名の参加者である。
事 前に城岳同窓会のホームページで呼びかけた効果もあるのだろう。戦時中の学童疎開生を乗せた「対馬丸」の撃沈のもようを当時の人たちを中心に証言で綴った ドキュメント・ビデオ「やーさん、ひーさん、しからーさん」の上映を予告したからでもあろう。山地会長のきも入りのビデオだ。真栄田副会長、医者の上里夫 妻もみえられた。「結ま~る」のテーブル席が満席となった。今年のすばらしい前途を予感させてくれる。13時、盛会を祝しての乾杯’全員が一斉にグラスを あげた。皆にこにこと顔が輝いている。料理は悦子ママの肝いりで沖縄の正月料理だ。ターウムリンカク、クーブイリチー、オキナワカマボコ、ミヌダル、オク ラ、ゴーヤーテンプラ、ササミテンプラ、大根、昆布、三枚肉の煮物、中味汁、そして匂いのすばらしいカーサームーチー。これらをオリオンビールで舌つづみ をうつのだ。
しばらく談笑の後、「やーさん、ひーさん、しからーさん」の上映が始まった。
「ひもじい、寒い、淋しくてこわい」これが当時の児童の一般的状況だったという。
静 かな雰囲気となり、解説のナレーションがジーンと胸を打つ、学童疎開に行くまでの気持ち、撃沈されて助かるまでの恐ろしさ、疎開先での空腹の日々、寒さ、 夜の淋しさと恐ろしい孤独感、70さいを超えた男性、女性がそれぞれ当時を語る、淡々とではあるが、それだけに心にしみる。上映が終わると真栄田さんが学 童を乗せた疎開船が「対馬丸」だけだったとは初めて知ったと話された。真栄田さんは沖縄の戦後史等をいろいろ調べて城岳会報にも書いておられる人だ。津波 古さんが疎開先でよくいじめられたという、ことだけがおおきく扱われるが受け入れる地元だって、とまどいがあっただろう。私も九州へ疎開したが、後年地元 を訪れたり旧知人と会ったりした。私は感謝するという気持になるのも大切ではないかと思っている、と感想を話された。60年前の辛さ、そして今、さらに 60年後の人たち、はどんな思いで生きてゆくのだろうか、
時代の重みを考えさせられるビデオでもあった。
今日の語りべは長老先輩のお1 人藤井さんだ。何と!大きなバックから次々と書類や証書類とりだされる。保育園の園児あずかり証を見せながら話が始まった。二中の証書、勅語のコー、海軍 に入りパイロットの資格をとられたこと、それを裏付ける数々の書類と写真、よこもまあと思われる几帳面さで保管していたものだ。
戦後は海上自衛隊で教官となり、新人の行き先をその性格によって決める担当となったこと、
復 帰前の沖縄へは事務官として行き、いろいろなことがらを米軍と沖縄の間に入って決めたこと。余談として、750ドルをもらっていたが、当時5ドルを持って 桜坂に行けば飲み放題、食べ放題ができたという、80歳を超えられた今でもこの話のときは、懐かしそうに遠くをみる目つきをされた。お元気なお人だ。
復帰功労者として貰った金のメダルも披露された。反戦運動の盛んだったころは最後の立川の事務所長として陸自、海自、をまとめてご苦労されたこと、次々に華々しい経歴が話された。
すばらしい才能と能力は今も健在だ!
さて島唄会の歌に入った。
「故郷」のウチナーグチ、バージョンだ。
去 年の総会で披露した歌だ。懐かしい。長嶺さんの三線で全員が大声で歌った。次に19の春、おさらいをかねての歌だ。踊りの師匠、五の坪さんが長嶺さんの三 線で「かじゃでふう」を踊られた。狭いところではありが、やはり風格がある。16期の竹内さんが「かなーよー」を踊られ、雰囲気はさらに盛り上がった。医 師の上里さんがギターを弾かれた。「禁じられた遊び」など指の動きは見事という他はない。
しばらく休憩に入ったが方々で談笑する声が大きくて明るい、会の明日を示しているようだ。
会は最後に、小沢さんが去年の会計報告をして終わった。
次回は3月の第二日曜日、9日だ。お待ちしております。