9月23日、秋分の日の東京地方は朝からさわやかに晴れ、すがすがしい一日!
島唄会例会の日でもあった。出席者は14名、7月、8月が夏休みだったので、およそ3ヶ月ぶりの顔合わせだ。長老の池ノ上先輩、藤井先輩、をはじめ皆な大元気だ。夏を上手に過ごした顔だ。場所はいつもの五反田駅近くの沖縄料理店、結いまあ~る、だ。
この店はつい先日、開店10周年をにぎやかに祝ったばかりだ。
ニコニコとあいその良いママの我那覇悦子さんは、シンが強く努力家だ。また暖かい雰囲気があり、仲間も多い。まさに店名のように、結いまあ-る、だ。
13時、例会に出席する、大きな楽しみの一つ、ママ手作りの沖縄料理の昼食が始まった。
ソーキ、イナムルチ,てんぷら、中味の汁、さしみ、そしてオリオンビール、マンゴーのデザト。ママは料理の達人でもある。
唄の練習に入る前に、いつものようにイベントがあった。
今回の担当は8期生で、高円寺で歯科院を開業している宮里尚明さんだ。二中卒の先輩で、同じく日本歯科大学の先輩でもある小那覇全考さんについての資料の発表だ。
戦後の沈みがちな沖縄に笑いで明るさをもたらしてくれたのは、中年以降の人たちなら、多くの人が知っていることだろう。歯医者さんながら舞天という芸名を持ち、ブーテンという愛称で親
しまれていた。大学在学中から浅草で落語、軽演劇,オペラなどを学んでいた。
そして沖縄で、ブーテンさんはヌチヌスージサビラ、命のお祝いをしましょう、といっては、人々を唄や踊りに誘い明るく勇気つけた。二中の一期生で、初代の城岳同窓会の会長でもあるということで、宮里さんは私には、奇しき因縁というか、とても親しみを感じていると結んだ。
これを受けるようにして、話題が沖縄の文化、方言の大切さなどにうつっていき、池ノ上、藤井、山路先輩らが次々に、情熱を込めて話された。
チージ、,カフェ、には遂に行けなかった無念の想いや、方言は踊や空手のバックボーンであること、方言が地域によって微妙に異なるのは、この違いこそが、 その地域の力の違いを現しているのではないか。などなど、そして今我々のようにこうして、島唄を歌い、調べたりすることは、とても大切なことだということ に落着いた。
唄の練習に入った。
唄の指導は8期の長嶺紀晃さんだ。唄、三線は54才から始めたというが、すでに教師の免許ももっており、新宿で教室も開いている。天才肌のひとだ。三線にはもう一人21期の歌田峯子さんも加わった。この人も琉舞,日舞をこなす多芸の人だ。
11月の総会での発表曲は2曲、べーべーぬ草刈いが、と、えんどうの花、だ。べ‐べーぬ草刈いが、には、アンマ‐母、スゥー父、ウンチウーおじ,ヤッチー兄、ウンミー姉,ウスメーおじい、
ハーメーおばあ、と懐かしい呼び名が次々とでてくる。ミーバイ、マクブー、タマン、ウムカシ、ターチーメー等の方言もある。
これらを長嶺さんが、ていねいに説明をしてくれる。三線に合わせて歌うと、ほのぼのとした故郷が想い浮かぶものだ。
えんどうの花は、映画化もされた宮良朝包先生の曲だ。沖縄のフオースターともいわれた生の美しい曲だけにほとんどの人が、歌ったり、聞いたりしたことがあ るのだろう。わりあいに早く、長嶺さんからは良く出来ましたという、おほめの言葉があった。11月の総会で島唄の会は、全員でこの2曲の唄を歌うほか、3 名が琉舞、そして52期のシンガーソング、ライター国吉亜耶子さんがキーボードを使って歌う予定だ。国吉さんは目下各地のライブハウスで活躍中でとくに若 い人に人気が高いようだ。乞御期待。
次回の例会は10月28日(土)です。入会はいつでも歓迎、のぞいてみませんか。
会長 山城孝夫(那覇校10期)
出席者
池ノ上 光夫  藤井 和雄  山 路 安清  亀島 博   宮里 尚明  宮里 育宏
長 嶺 紀晃  山城 孝夫  津波古 勝子 小澤 貞子  西村 常子  歌田 峯子
山 川 夏子  国吉 亜耶子。

よろしくお願いいたします。