山路安清(二中34期)沖縄を遠く離れて、ヤマトゥ暮らしを楽しんでいる人々にとって、心に宿る“ふるさと”は忘れ難いものである。
昭和30年頃、私は、新宿で催された同窓会に初めて参加して以来、毎年出席し、沖縄の文化や多くの先輩・後輩との歓談を楽しんできた。時 を経て、執行部の役員諸兄の高齢化が進み、より多くの那覇高卒を含めた新しい運営が求められていた時、突然私に会長の指名があった。当時、事務局長を務め ていたことに加え、学制改革による最後の旧制中学5年を過ごし、新制高校を卒業したこともあって、お引き受けすることにした。
手許の資料による と、平成6年の関東城岳同窓会には、200余名が集い、宴が賑わったこともあったが、その後、参加者が逓減している。そのため「年会費制の導入」「料金受 取人払郵便の活用」「事務管理の電算化」を行った。他方、新規会員獲得には、名簿の充実、ホームページの開設、母校の協力などに力を入れてきた。
また、全国高校野球や全国高校サッカー選手権大会の応援、情報交換のための会報の発行、親睦会としての島唄会の発足、百周年記念誌の刊行等々、それぞれ才 覚ある那覇高卒の方々による努力により実現した。同窓会の目的は「会員相互の親睦」「母校の発展への寄与」「後輩の支援」などであるが時代の流れは同窓会 そのものへの参画意識がうすれているのが現状のように思われる。今後、若い優秀な方々に新たな運営に期待している。13年間にわたり、皆さまのご協力のも と過ごせたことを心より感謝するとともに、会のますますの発展を祈念致します。
前会長 山路 安清(二中34期)