沖縄にも『結縄』があった!

皆さん『結縄(けつじょう)』とは何のことかご存知でずか。広辞苑によると籍羅とは「太古、文字のなかった時代に縄の結び方でいろいろな意味を表し、お互 いに意思を通じ、物事の記憶に役立てた。エジプト、中国、チベット、インカ、太平洋地域で人口統計、租税の記録等にも用いられ、このうちペルー、沖縄には 近代まで存在した」とあります。世界的に有名な古代ペルーの結縄は「キープ」と呼ばれますが、沖縄のそれは藁算(ばらざん)と言われており昭和初期まで民 具として伝承されていました。

この藁算を紹介する「沖縄の結縄展」が去る6月、杉並区にある女子美術大学付属高等学校・中学校で開催されました。沖縄の貴重な文化財である藁算を多くの人に知ってもらいたいと校長・継岡リツ先生が企画されました。

藁算の主な用途は収穫算、領収算、金銭算、戸数算などですが、結び目で会話も出来たと伝えられています。沖縄で藁算が盛んになったのは1637年の人頭税 制度が導入されてからだといわれています(「琉球における算術の研究」琉大、金城松榮、小田切忠人)が、その藁算の存在が一般に紹介されたのは1885年 (明治18年)植物学者の田代安定が単身、八重山諸島の博物調査をする過程で発見し「沖縄結縄考」として発刊したのが始まりでした。当時、人頭税に苦しん でいた文字や数字による記録を知らない百姓たちが役人の不正にごまかされないよう、いわゆる“生きる知恵”として生み出したものが藁算だったと、「沖縄結 縄考」の著者、田代安定は指摘しています。

一般に藁算が廃れたのは人頭税が廃止になったからと言われていますが実際は教育の普及が原因だったといえましょう。