「流れゆく川のように、時代は移り、人も変わる。その後に一つの歌が残り、過ぎゆく季節の記憶を奏でる。」 NHKのラジオ番組、五木寛之の「わが人生の歌語り」の冒頭のフレーズです。

私事ですが、七十余年もの流れの中で、ある時点でサンシンに触れ、今や城岳同窓会で島唄を歌い、仲間と杯を交わしつつ郷里を懐かしむ岸辺にいる事が、なんと幾多の幸運や偶然の出会いによるものかと、移りゆく人生の季節をしみじみと噛みしめています。

振り返れば私達の幼年から少年時代は、言葉や芸能面で《琉球・沖縄廃棄》の淀みの中にいました。父が奏でるサンシン、両親が使う方言が、正に我が家の後進性の象徴と幼少時代の私には写りました。

父は1895年の生まれで、80才位までサンシンを楽しんでいました。90才で他界しましたが、私に形見のサンシンを2竿残してくれました。貰ったものの、我が家の後進性の象徴になかなか手を触れる気にならず、貰い受けて数年後、52才にしてやっと手習いを始めました。

習い始めて時節の経過につれ、記憶の奥に封印されていた父のサンシンが少しずつ甦って、20年以上経った今ではすっかり生活の主要部になっています。
Begin の「サンシンの花」という素敵な歌があり、オジーの形見のサンシンを唄っています。このオジーを親父に置き換えれば正に私の唄になります。孫達には自然にサンシンが継承されるようにと、2年前に当時3才と6才の孫娘に子供用のサンシンを与えました。

その様な中、NHKの「こんにちは いっと6けん」のレポーター上村さんが沖縄関連に興味を持ち、ネット検索した処「結まーる」が目に留まり、其処で定期的に楽しい会を開催している「城岳同窓会の島唄同好会」に行き着きました。
早速上村さんから面会のお声が係り、お会いしたのが今年の一月末です。

私とサンシンの出会いを上のように説明したところ、大変興味を示してくれました。
続いてわが同窓会の会長、山路さんの郷里に対する熱い想いを説明したところ、更に上村さんの興味が深まり、武蔵小山の山路家を訪問しました。

予想通り、山路家のお蔵に保存されている数々の郷里関連の資料、夏の季節のゴーヤー、シークヮーサー、お庭の一角にある巻き藁、など等に驚き、「山路さんの郷里に対する熱い想い」を中心に番組を纏める事に方針が決まり、映像を収録し、番組が出来上がりました。

「流れゆく川のように、時代は移り」、今や《日本は高度成長の喧騒から沖縄的癒しを求める時代、即ち日本の沖縄化》に移り、関東在住の私達も茶の間の映像として取り上げられる時代になった事を感慨深く噛みしめています。